春が来た

 

 

『そうだ、口笛を合図にしよう』


ビルの谷間の小さなオープンテラス、春を思わせる日差しに目を細めてサイトーはトグサを見た。

『古いドラマの見すぎだ』

トグサは少し離れた交差点を行く人々を見ながらコーヒーを美味しそうに飲んでいる。
その様子をちらっと見てからサイトーも交差点に目を戻した。ついでに片手に広げた新聞をめくる。 目標を張っていて見逃しましたでは話にならない。

『目標を見つけたら口笛を吹く、今日はあったかいから[春が来た]なんていいかな』

『電通で十分だ』

トグサが張り込みに飽きてこのくだらない会話を始めたのか、それとも本気で言っているのかサイトーには区別が付かなかった。

『いいだろ別に、そんなに切羽詰った張り込みでもないし?隣にいるんだから光速か音速かの差なんて大したことない』

『必要ない』

むきになって否定しないようにしなくては、とサイトーは思った。
日差しを受けて黒いアイパッチがすっかり温かくなっているのを忌々しく感じつつ、読んでいない新聞をまためくる。

「あ」

トグサが変な声を出した。

『来たか?』

「あの子可愛くないか?好みだな」

『わかったサイトー、口笛吹けないんだ』

変な所で勘の鋭い、口だけは達者な憎たらしい後輩だ。 世間の流行に疎いサイトーを散々からかったりもする。
今回こそ、そのパターンにはまらない、とサイトーはまた思った。

「どの女だ?」

『口笛のプログラムダウンロードすれば?』

「ほら、今信号渡り終えた髪の長い子」

『そんなものあるわけあるか』

「あぁ、もう見えないな」

『じゃあ今から練習する?』

「惜しいことしたよ、ほんとに綺麗な子だったんだから」

トグサの口調に笑みが深まるのを感じて、我知らずサイトーの眉間に皺が寄る。
吹けないとは言っていない。
しかしそう言ったところで意味がないのはよくわかっていたので、黙秘権行使に踏み切ることにした。

「本当に、足の形もよかった」

『教えてあげるよ?』

今すぐ目標が現れないか、とサイトーが交差点をざっと見渡した時、パズから電通が入った。

『目標はまだオレが追ってる。そっちに尾行を交代するまでこの分だとあと20分ほどかかりそうだ、精々ゆっくりしててくれ』

『了解』


「さて」

トグサがゆっくりとサイトーの方へ身体を向けた。 サイトーは涼しげな表情で新聞に目を落としている。

「練習しよっか?」

 

 

「って言ってもどうすりゃ吹けるようになるのかわかんないな」

「散々言っておいてそれか」

サイトーが思わず顔だけ横を振り向くと、トグサは困ったように笑っていた。

「だって口笛の練習したのなんて大昔だしなぁ、どうやったっけな・・・・」

うーんと腕を組んでいるトグサを見ながら、サイトーはため息を吐いた。 目標は来ないにしても少し油断しすぎだろう。 先輩になんてなるもんじゃない、これではまるでオジィだ。イシカワの苦労を思って苦笑いが零れる。

「サイトー、ちょっと俺にキスしてみて」

「はぁ?」

サイトーの注意してやろうという気が一気に失せた。

「いいからいいから」

「少佐にハッキングされてんのか?」

「いや大丈夫大丈夫、ちょっとキスしてみてよ」

誰かに聞かれていないか、テラスを見回す。 当然周囲から見えずらい植え込みの横の席に座っているし、まだ肌寒いからか最初からテラスには誰もいなかった。 人並みもまばらな平日の午後、信号待ちの人々は前しか見ていない。

サイトーは自分の目を覗き込んでいるトグサに、仕方なくキスをした。

 

 

『ちょ、ストップ!サイトー!』

トグサのうなじから手を離すと、赤い顔が目に入った。 先ほどまでのお返しが出来たのでサイトーの声も弾む。

「お前がしろって言ったんだろ」

「いやこういうのじゃなくてもっと初々しい奴!」

身体を引いて椅子に座りなおすのを笑って見ているサイトーに、トグサの呆れたというため息。

「キスする時の口の形が口笛吹く時の形に似てる、って思ったんだよ」

「へぇ?」

「口の中の空気を全部無くして、それで息を吐く」

言われた通りにやると、サイトーの唇から掠れた音が出た。

「案外簡単だな」

にやりと笑うと、トグサもまだ少し赤い顔で口笛を吹いた。

「目標が来るまでに『春が来た』を吹けるようになってくれよ」

 

 

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トグ×サイです、と言い切る
06/07/21