春が来た
『そうだ、口笛を合図にしよう』
『古いドラマの見すぎだ』 トグサは少し離れた交差点を行く人々を見ながらコーヒーを美味しそうに飲んでいる。 『目標を見つけたら口笛を吹く、今日はあったかいから[春が来た]なんていいかな』 『電通で十分だ』 トグサが張り込みに飽きてこのくだらない会話を始めたのか、それとも本気で言っているのかサイトーには区別が付かなかった。 『いいだろ別に、そんなに切羽詰った張り込みでもないし?隣にいるんだから光速か音速かの差なんて大したことない』 『必要ない』 むきになって否定しないようにしなくては、とサイトーは思った。 「あ」 トグサが変な声を出した。 『来たか?』 「あの子可愛くないか?好みだな」 『わかったサイトー、口笛吹けないんだ』 変な所で勘の鋭い、口だけは達者な憎たらしい後輩だ。
世間の流行に疎いサイトーを散々からかったりもする。
「どの女だ?」 『口笛のプログラムダウンロードすれば?』 「ほら、今信号渡り終えた髪の長い子」 『そんなものあるわけあるか』 「あぁ、もう見えないな」 『じゃあ今から練習する?』 「惜しいことしたよ、ほんとに綺麗な子だったんだから」 トグサの口調に笑みが深まるのを感じて、我知らずサイトーの眉間に皺が寄る。
「本当に、足の形もよかった」 『教えてあげるよ?』 今すぐ目標が現れないか、とサイトーが交差点をざっと見渡した時、パズから電通が入った。 『目標はまだオレが追ってる。そっちに尾行を交代するまでこの分だとあと20分ほどかかりそうだ、精々ゆっくりしててくれ』 『了解』
トグサがゆっくりとサイトーの方へ身体を向けた。 サイトーは涼しげな表情で新聞に目を落としている。 「練習しよっか?」
「って言ってもどうすりゃ吹けるようになるのかわかんないな」 「散々言っておいてそれか」 サイトーが思わず顔だけ横を振り向くと、トグサは困ったように笑っていた。 「だって口笛の練習したのなんて大昔だしなぁ、どうやったっけな・・・・」 うーんと腕を組んでいるトグサを見ながら、サイトーはため息を吐いた。 目標は来ないにしても少し油断しすぎだろう。 先輩になんてなるもんじゃない、これではまるでオジィだ。イシカワの苦労を思って苦笑いが零れる。 「サイトー、ちょっと俺にキスしてみて」 「はぁ?」 サイトーの注意してやろうという気が一気に失せた。 「いいからいいから」 「少佐にハッキングされてんのか?」 「いや大丈夫大丈夫、ちょっとキスしてみてよ」 誰かに聞かれていないか、テラスを見回す。 当然周囲から見えずらい植え込みの横の席に座っているし、まだ肌寒いからか最初からテラスには誰もいなかった。 人並みもまばらな平日の午後、信号待ちの人々は前しか見ていない。 サイトーは自分の目を覗き込んでいるトグサに、仕方なくキスをした。
『ちょ、ストップ!サイトー!』 トグサのうなじから手を離すと、赤い顔が目に入った。 先ほどまでのお返しが出来たのでサイトーの声も弾む。 「お前がしろって言ったんだろ」 「いやこういうのじゃなくてもっと初々しい奴!」 身体を引いて椅子に座りなおすのを笑って見ているサイトーに、トグサの呆れたというため息。 「キスする時の口の形が口笛吹く時の形に似てる、って思ったんだよ」 「へぇ?」 「口の中の空気を全部無くして、それで息を吐く」 言われた通りにやると、サイトーの唇から掠れた音が出た。 「案外簡単だな」 にやりと笑うと、トグサもまだ少し赤い顔で口笛を吹いた。 「目標が来るまでに『春が来た』を吹けるようになってくれよ」
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トグ×サイです、と言い切る
06/07/21