気付くのが遅すぎた





「それが恋よ」

初めて抱いた女は、悲しそうに笑って泣いた。




15の時だっただろうか、オレは夜になれば修道院から必ず抜け出ていた。
一度夜這いをされて以来二度と夜をこの修道院で過ごさないと決めた。
魔物から夜の闇から、何か恐ろしいものから毎夜全力で駆けてくるオレを、バーのマスターは仕方なさそうに、でも暖かく受け入れてくれた。
いくらオレが大人びていたとしても、成人していないことは丸分かりだったのに。

こうしてだらだらとバーで飲んだり寝たりして朝になれば町を出て行く生活が始まった。
賑やかな笑い声、飛ぶ怒声、女達の嬌声、安いアルコールの匂い。
カウンターの内側から見るバーはおもしろかったし、オレはそこで修道院では学べないことをどんどん吸収していった。



ある日、女に声をかけられた。

「暇なら、私と遊ばない?」

少しバーに飽きてきていて、机に突っ伏していた頭を起こすと、そこには派手な化粧の似合う女が立っていた。
言っている内容からどんな関係を求められているのかはわかったが、その言葉を言ったとは思えない程女の表情は頼りなげだった。
その表情に惹かれてオレは女の手を取った。
そして二人でバーでしこたま飲んで喋った後は、野外でじゃれあうようにして抱き合った。

本当にあの女には感謝してもし尽くしきれないと思う。

恐らくあの女と寝ることがなければ、オレは誰とも交わることを拒むか、最悪使い物にならない一物を抱えて生涯生きていくことになっただろうから。



毎夜バーに来るオレと違って女はたまにしか姿を見せなかったし、ドニの町の住民でもないようだった。
それでも会えば日頃の鬱憤を晴らすように高らかに笑いあい肌を重ねる生活が続いた。

「なぁ、どこに住んでるんだ?」

柔らかい女の体を抱きしめるだけで、自分の中の重い何かが溶けていくのを感じた。
女は無言でオレの頭を撫でている。

「なぁ」

「そんなこと、知ってどうするの?」

「夜ここに来るのは危ないだろ、オレがそっちに行ってやるよ」

「・・・ありがとう」

女は手を止めてオレの頭を胸に抱え込むようにして抱きしめた。
五感の全てが女の物に包まれる。
汗と牛乳のような仄かに甘い香り、溶けてしまいそうな程柔らかい胸。

「ククール、愛してるわ」

女から愛だの好きだのという言葉を聞いたのは、これが最初で最後だった。
女はオレがそういった感情を信じていないことや、過去についてを知っている。

「でも、貴方は私を愛していないでしょう」

「そんなことない」

実際オレはこの女を好きなのかもしれないと考えていた。

「いいえ、貴方の感情は愛じゃない。優しくて女であれば誰でもいいのよ」

猛烈に腹が立ってオレは女の腕を振りほどいた。

「・・どういうことだ?」

「怒るってことは図星でしょ?よく考えてみて、『私』じゃなければ駄目なのかを」

やっと暖かな感情が芽生えた自分の心に希望すら感じていたのに。
それを、与えてくれた本人に打ち砕かれるとは思いもしなかった。

オレは女の言う意味が分からず苛々しながら女を見つめた。
じっと見つめる内に、オレは驚きの余り言葉を失った。

「アンタ・・・」

夜の闇の中で光る、涙で化粧が剥がれた顔は、ドニの町でよく見かける少女の物だった。

「会ってから随分経ったよね、昼も夜も。・・・やっと気付いた」

少女は悲しそうに笑った。

「ククール、貴方はよくお兄さんのことを話してくれたでしょう」

突然何を言い出すのかと思ったが、少女の強い決意を秘めた顔に見惚れることしかできなかった。
ほぉっと、小さなため息が漏れたのはどちらだろうか。
オレは驚きの去った静かな気持ちで、泣き濡れた少女の顔を一心に見つめた。

「貴方のお兄さんに対する感情、私が貴方に対して持ってる気持ちと一緒」

少女の言葉を、オレの脳は弾き返すようにして理解を拒んだ。
ぼぉっとして軽い頭を左右に緩く振って、もう一度少女の顔を見つめる。
聖女のような微笑を浮かべて、女はオレの頬を撫でた。

「それが恋よ、・・・さようならククール」

女は立ち上がって草の上に脱ぎ捨てられた上着を羽織ると、ほんのり赤らんできた空の中を去って行った。
動く気が起こらず、女の細い背中が消えるのを見送る。


ありがとう。
アンタはそう言ったけど、オレは本当にアンタのこと好きだったんだよ。

伝えたい言葉は、口から漏れることはなく、ただ涙となって頬を伝った。

 

 

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