落下、そして昇天

 

 

リョーマは最近この場所へよく来ていた。

校舎裏の焼却炉の更に裏、広葉樹林が小さく林を作っているそこには、野良猫の親子がいた。

今日もお昼の残りを持って、焼却炉の裏に回った途端、


――落ちた。


「うわっ!?」

一瞬のことだった。
その為何も出来ずに落ちたリョ―マは、左足首を強く打ってしまった。

「いってぇ・・!」

尻餅をついた体勢のまま足首にそっと触れてみる。熱があるがたいした痛みではない。

「ふぅ・・、先ずは状況確認っと」

一息つくと壁に手をついて立ち上がってみた。
足首に軽い痛みが走る。

目を上げてみると、地平線まで1メートル程あるようだ。

ためしに手を伸ばしてみたが、ジャンプしたところで地上に届きそうにない。

「落とし穴かよ・・、どうするかな・・・」


暗い穴の中に、一人。


「ねぇ!誰かいないー!?」

とりあえず助けを呼んでみたが、全く反応は無かった。

「さて、どーしますかね?」

自嘲ぎみに微笑んだところで、急に足が痛くなってきたので座る事にした。
今は放課後で掃除の時間だ。誰かがごみを捨てに来た時に、また叫べばいい。

目も慣れてきたので落ち着いて周りを見渡すと、そこは案外広かった。
底辺、つまり今リョ―マの座っているスペースは、直径2メートルの円くらいはありそうだ。


一体誰が、何の為に、ここにこの落とし穴を作ったのだろう。


毎日少しずつ掘ったとしても、これを作るには一ヶ月はかかりそうだ。
しかし昨日までは無かったのだから、一日でこれを掘ったのだろうか?

まぁ何にせよ。

「ただじゃおかないからな・・・」

リョーマは体育座りで穴から見える木々を睨みつけた。

穴の中は、じめっとしているがひんやりと涼しく、意外に居心地が良かった。

もしこれで蒸し暑かったりしたら、リョーマの気は狂いそうになってしまったかもしれない。


溜息を一つ落とし、目を閉じた。意識は足首の熱へと集中する。

蝉の鳴き声が穴へ落ち、木霊して、また空へと戻っていった。
すごい音だ。たくさんの蝉が鳴いているのだろうが、ここまで来ると、もう一つの音にしか聞こえない。

「あ〜ぁ、もーちょっと背があればな・・」

たいした高さでもないのにまるで地の底にいるようだ。

暗がりに慣れた目で天上を見上げれば、眩しい光で満ち溢れている。

「部活どーすんのさ・・・」

時計を見てみると、あと三分で部活開始だ。この分では確実に遅刻だろう。

「どうして誰もゴミ捨てに来ないんだよ・・」

リョーマに言える科白ではないが、誰かに文句を言わなければやっていられない。
無性に腹が立ってきた。
とりあえず座り直す。

「足痛いし・・・」


部長にはどう言い訳をしよう。

『落とし穴に落ちてました』

一体この言葉を言ったら彼はどんな反応をするだろうか。
彼のいつもの不機嫌そうな顔が頭に浮かんだ。

納得してくれるだろうか、それともやはり有無を言わさず

『グラウンド十週!』

だろうか。
後者である確率が高いだろうが、足が痛いのでそれだけは勘弁したい。

『注意散漫だからそうなる。たるんでいる証拠だ』

落とし穴に落ちる事が何故たるんでいることになるのか。
そう考えて、リョーマは苦笑しながら先程の科白を打ち消した。


――自問自答して笑ってる場合じゃないだろ


もう一度上を見上げてみる。暗い世界にぽつんと白く、まるい穴が浮かんでいるようだ。

まるで太陽、というより月だ。
暗闇にぽつんと佇む満月。

灼熱の光をその身に受けながらも、何でもないように反射している。
そしてはじかれた光は、初めからそうであったかの様に、涼しげな月の色へと変えられていく。


手が・・・届きそうで届かない。


――まるで彼のようだ

リョーマはあまりの眩しさに手をかざした。


「・・・越前、いるのか?」


「・・部長・・・」

それはまぎれもなく彼の声で。
手塚は月を覆うようにして現れた。

「そんな所で何をしている?部活はもう始まっているぞ」

手塚は心底不思議そうな顔をしていた。
(表情はいつもと変わらないが、リョーマはそう感じた)

「落ちて・・しまったんですよ、穴に」

リョーマは立ち上がった。

「部長こそ、ここで何してるんすか?大体何で俺を呼んだんです?」

「ごみを捨てに来たに決まっているだろう。そこにお前の名前の書いてある弁当箱が落ちていた」

手塚はそう言うと、穴に落ちないように注意しながら淵にしゃがむと、リョーマに手を差し伸べた。

「掴まれ、引き上げる」

――リョーマは先程から、世界がやけにゆっくりと流れていくのを感じていた。

全ての事がスローモーションで起こっている。

リョーマは手塚の両手を強く握り締めた。
硬く骨ばった、暖かい手だった。

手塚は、ひょい、と万歳の状態でリョーマを引き上げ、自分の前に着地させた。

「大丈夫か?」

目の前が真っ白になった。蝉の声は、随分前から聞こえていない。

何もかもがリョーマの世界から消えていた。

ただ光の中に、手塚と、彼のあたたかい手と、声が、そこにあった。

「部長・・、足首を痛めたみたいなんで、保健室までおぶって下さい」

「・・歩けない程なのか?」

「はい」

リョーマが即答すると、手塚は渋い顔になった。

――願わくば、それが自分をおぶることに対してではありませんように

「乗れ」

しかし一言いうと、くるりとリョーマに背を向けしゃがんだ。

「・・・ありがとうございます」

リョーマは震えそうになる声をなんとか押さえ込むと、手塚の広い背にしがみついた。

薄い皮膚の下で動く美しい筋肉達。


なんとあたたかいのだろう、この身体は!


その涼しげな色からは想像できないこの熱は、一体どこから生まれてくるのか。

「自家発電・・・」

リョーマはうっとりと呟くと、近頃の寝不足の原因が解けたことに安心して、眠りの世界へと落ちていった。

「越前・・・?」

急にリョーマの体の力が抜けていった。
手塚はそっと問いかけたが、返事は微かな寝息となって返ってきた。

 

 

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