燃えゆくもの

 

 

暗闇と静寂に包まれた校舎の屋上からは、微かに煙が上がっていた。


「どうしてこんなトコにいるんスか、部長」

「屋上で焚き火をしている奴がいるからだ」

振り返ったリョーマの眼は大きく開かれていた。

手塚は後ろ手に、鍵のついたままの屋上の扉を静かに閉める。


「・・そうじゃない。どうしてこんな夜中に学校に来たのかって事ですよ」


リョーマは、小さいが赤々と燃える焚き火を前に、リュックを背負って立っていた。

「それは・・・」

手塚が一歩前に踏み出した途端、リョーマは叫んだ。


「来るな!」


手塚の動きが止まる。

「それ以上、近づかないでください」

2人の間には5m程の距離があった。

手塚は1歩下がると、ゆっくりと扉に背中を預けた。

 

リョーマはリュックサックを背中から下ろし、中に入っている物を1つ1つ、炎へ放った。
それは大した数もなく、静かに炎と同化していった。

リョーマは燃えさかる炎を一心に見つめている。

「終わりか?」

手塚が静かに声を発した。
リョーマを見つめながら。

「えぇ、・・全部ですよ」

リョーマは炎から目を離さない。
無表情な顔は、炎に照らされて赤々としている。

「納得できたか」

手塚の凛とした声は、夜の闇の中を、真っ直ぐに通る。

リョーマは変わらず炎を見つめている。

「越前」

手塚は一歩、前へ踏み出した。


「嫌いだ。あんたなんか、大嫌いだ」


ひどく強張った顔を上げて、リョーマは言った。
真っ直ぐに手塚を見つめる瞳は暗く燃えている。

「そうか」

手塚はゆっくりと、しかし確かな足取りで、一歩一歩リョーマに近づいていった。


「大嫌いだ!憎くて憎くてしょうがない!」


口から言葉が弾きだされるのに対して、リョーマの身体は硬直したかのように動かない。


「今までの証拠なんか燃やしたって、何の意味もない!」


ただ瞳だけが、強い力を湛えて手塚に訴えていた。
手塚はその間も、リョーマから視線を離す事無くゆっくりと足を進めている。


「どうして・・・、好きだなんて言ったんだよ」


弱々しい声でそう言うと、リョーマは耐え切れないというように顔を覆った。

「越前」

手塚はあと一歩でリョーマに手が届く所で、止まった。


「どうしたい」


夜風が二人の間を通り抜け、静かに炎を揺らした。

「何も、何も無かった事にしたい・・・」

リョーマは身体を固くして、審判を待つ。
すぐ傍で燃えている炎の熱が、夜風に煽られ徐々に弱まってきている。

「・・・なるほど」

手塚の低い声が返ってきた、次の瞬間。


――がしゃん・・・!


予想外の音に驚いて、リョーマは顔を上げた。
手塚がしなやかな身のこなしでフェンスを登っている。

「なっ!ぶちょぅ!?」

3mを超えるフェンスの頂上を、ためらう事無く超える。

リョーマがフェンスを掴むと同時に、手塚が着地した。


フェンスを挟んで向かい合う。

「何も無かったことにしたいと言ったな」

手塚の50cm程後ろには闇が広がっている。
遠くではビルの明かりが瞬いていた。

「全てを燃やしたと言ったな」

手塚は確認を取るように、一言一言述べた。

リョーマは見つめることしか出来ない。

「まだ残っている」

リョーマはかすれた声を、やっとのことで絞り出した。

「・・・あれで終わりだ」

背中から全身にかけて、氷の膜がはっていくのを感じた。


「俺が、残っている」

 

夜風はますます勢いを強めていた。
リョーマの後ろで、炎が激しく揺さぶられている。

手塚はリョーマを見つめたまま、後ろへ一歩踏み出した。

リョーマの視線は手塚の足元に釘付けされている。


今すぐに、フェンスを飛び越えてしまいたい。


「・・・部長・・・」

フェンスを強く握りしめる。

「俺は、お前との事を、思い出すように後悔した」

手塚はリョーマに向かってというよりも、独り言のように、話し始めた。

 

「お前の傍に居るだけで、いとおしくてたまらない」


「しかし一人になると、いつも恐怖を感じていた」


「お前はただ俺に引きずられているだけではないのか」


「一時の情欲に流されているだけではないのか」


「いつかは、俺から離れていくだろう」


「それでもお前を離したくない」


「嫌われようが、嘲られようが、離したくない」


「もう俺は、お前の気持ちはどうでもいい、思いやる事はできない」


「お前が傍にさえ居てくれれば、あとはどうだっていいんだ」


「・・・自分が嫌で堪らなくなった。俺も、お前と同じだ」


「全部無かった事にしてしまいたい」

 

淡々と話す手塚を前に、リョーマはただ涙を流していた。

胸が熱くて、締め付けられるように痛い。
呼吸もおぼつかずに、あえぐように酸素を取り入れる。

胸が、痛い。

死んでしまいそうだ。

 


その時、リョーマをフェンスに叩きつけるほどの突風が吹いた。

それは、手塚を暗闇の底に突き落とす風でもあった。

炎はこの風を受けて完全に消えた。


その場に膝をつきたくなる衝動を抑えて、リョーマは右手でフェンスを強く握りなおす。


「・・・・部長」

手塚は無表情にリョーマを見ていた。

「リセット、しましょう」

リョーマの左手は、フェンスの狭い縫い目を通り抜けて、手塚の胸倉をしっかりと掴んでいる。

手塚は後ろに反っていた上半身を、安定な状態に戻した。

「俺と付き合ってた手塚国光は、さっき死にました」

暗闇の中からリョーマの声だけが響く。

「今ここにいるのは、俺の事を何とも思っていない、手塚国光です」

リョーマは強く左手を引いた。


――がしゃん・・・!


手塚の身体が音を立ててフェンスにぶつかる。

「だから、戻ってきてください」

リョーマの手の震えは、手塚にそのまま伝わっていた。

「わかった。・・・手を離せ」

先程から吹いていた風はぱたりと止んで、ただ静かな闇が、その場を支配していた。
リョーマの手は離れない。

「・・・越前」

手塚は、固く握りしめ凍ってしまっているリョーマの手をそっと包み込むと、キスを一つ落とした。

「大丈夫だ。決して落ちたりしない」

リョーマはゆっくりと息を吐いた。

今まで吸う事を忘れていた酸素を深く吸い込む。
そして、力の限り握りしめていた指を、ゆっくりとほどいた。

関節のぎしぎしと鳴る音がリョーマの体内に響く。

手塚は離れていったリョーマの手を掴んでもう一度口付けると、素早くフェンスに上った。

リョーマは動かずに、ゆっくりと浅い呼吸を続けている。


――ったん


手塚がリョーマの横に着地した。

「大丈夫か」

「・・それはこっちのセリフだよ」

リョーマは血の止まりかけている左腕を、乱暴に抜いた。

「帰ります。ただし、あんたは俺が屋上を出てから1分数えて帰ってください」

手塚は軽く眉を上げた。

「何故だ?」

「・・・その間に、今までの事を、完全に忘れましょう」

「・・わかった」

リョーマはくるりと踵を返すと、そのまま走っていった。

 

リョーマが扉の向こうに消えた瞬間、手塚がリョーマとは反対の扉に向かって走った。

「いちにっさんしっ・・・」

真夜中の校舎を駆け下りる。
唯一の光源は、非常出口を示す薄ぼんやりした緑色の光だけ。

「にじゅいち、にじゅにっ、にじゅさんっ、にじゅしっ、・・・」

最後の階段は勢いをつけたまま飛び降りる。


――っだん・・・!


手塚は呼吸を整えることなく、また走り出した。

 

リョーマは荒い呼吸を少し整えると、閉まっている校門に手をかける。


「越前リョーマ!」


その音は校庭いっぱいに響き渡って、しばらく木霊した。

リョーマはびくっと身体を震わせながら、後ろを振り返った。
その目が大きく見開かれる。

人影がこちらに向かって走ってきていた。

動けずにその姿を凝視していると、それはあっという間に等身大の手塚になった。

「・・・越前」

リョーマは何を言ったら良いのかわからず、しかしそれでも口を開いた。

「部長、ちゃんと1分数えたんスか?いくら何でも・・・」

その先は続かなかった。

手塚がリョーマを強く抱きしめている。
背中に回しそうになる両手を、リョーマは全力で押しとどめた。

手塚の速い鼓動と、落ち着かない呼吸が、リョーマの身体を熱くする。

 

「好きだ」

 

耳元で低く囁かれる。

「・・・約束が違う・・・」

初めて気持ちを伝えられた瞬間の感動が、甦る。

 

自分はあの頃と何も変わっていないじゃないか!

 


「1分は数えた。それに、今までの事も忘れた」

手塚はリョーマの肩に手を添えると、手はそのままに、そっと身体を離した。


「改めて、好きなんだ。さっき会った瞬間に、・・・つまり一目惚れだ」


真っ直ぐにそんな事を言われたので、リョーマは思わず笑ってしまった。

「あはっ、あははははは!」

手塚はゆっくりと、リョーマを胸に抱きこむ。

「ほんっとまだまだだね、俺達・・・」

今度はためらわずに、リョーマも手塚を抱きしめた。

 

 

どんなに暗く覆われても、胸の中で確かに燃えるものがある。

貴方の中にある、その炎の在り処を知ってしまった。

自分の中にある、炎の在り処を知られてしまった。

2色の炎は近づき、火花を散らしながらも、ゆっくりと混じりあう。
途中で消えそうになったり、闇に押し潰されそうになっても、もう戻ろうとは思わないだろう。

 

――混じりあった炎の、それは美しい色を知ってしまったから

 

リョーマは勢いの弱まった炎に酸素を送り込むため、精一杯背伸びをして手塚に口付けた。

 

 

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