いつか見た夜明け

 

 

ここは花街。毒々しい程に美しく飾り立てられた女が男を誘い、金のある男は買った女の数をステータスにする街。

次々と目に飛びこんでくる、色とりどりに装飾された廓が、歩く者の気分を高揚させる。

しかし、華やかな町並みを狭い路地に少し入り込めば、寂れて薄汚い長屋が並ぶばかりの、下働きが住む集落が広がっている。

そこから、少女は華やかな通りを見ていた。お女郎を羨む下女の一人であろうか。

いや、暗い炎を灯した少女の目は、どこか殺気立って一点を見つめている。

 

華やかな通りを少し抜けた、どこかうら寂しい街道に一人の男が佇んでいた。

擦り切れたマントを羽織った男はしたたかに酔っているようで、薄く笑った顔は座らずにゆらゆらと揺れている。

賭けで大勝でもしたのだろう。腰から下げた皮の袋が、容量オーバー寸前にじゃらりと音を鳴らす。

マントで隠れてはいるが、片腕がないことはよく見ればすぐにわかった。

周りにいる誰かと話す様子もなく、通りを行く人々を惚けた顔で見ている。どうやら仲間はいないらしい。

少女は、今夜の獲物を決定した。

誘いの言葉を囁けば、金を持った好色な男たちはついて来る。

桃のように白い肌も、輝くオレンジの髪も、ヘーゼルの瞳も、花開く前のつぼみから溢れ出る香りに誰もが引き寄せられる。

幼女だからという理由で、躊躇させない魅力が自分にはあると自負していた。ただ、選ぶ相手が肝心だというだけで。

いつだって、自分一人で危険な時を切り抜けてきたのだ。今回も無事に逃げおおせるだろう。

少女は気配を殺して男に近付くと、その背中に寄り添って耳元に囁いた。

「今夜、あたしと寝ない?」

男は、大して驚いたそぶりも見せずに振り返ると、少女を見て微笑んだ。

近付いて見ると、擦り切れてみすぼらしく見えたマントは不思議な光沢を持った上等の布であり、闇に溶けるほどに漆黒なのがわかった。

髪は炎のように赤く、谷底を流れる川のような瞳は暗闇でも良く光る。

左目に走った傷も、身体に残る傷も、歴戦の戦士の証。どう見てもカタギの男ではない。

驚かされたのは少女の方だった。

今夜は運がなかったと思ったのもつかの間、一瞬怯んだ隙を突いて、男が少女の腕を捕らえた。

「いいよ」

そのまま少女を小脇に抱えると、どこかへ向かって歩き出した。その足取りは、まるで重みを感じさせない。

「はな、離してよ!」

少女は手足を思い切り振って暴れるが、そんな少女を見る男の顔のしわは、いよいよ深くなるばかり。

どんなに大声を出した所で、酔っ払いと子供のことを気にする者なんて、この街にはいない。必死に女を口説いていた者が、邪魔をされたと、しかめ顔で少女を見る。

そうしているうちにも、男はどんどんと街の奥に入っていき、段々と人通りも少なくなってきていた。

暴れるのにも疲れて、どうにか逃げ出すチャンスを見つけようと思った時、男の足が止まった。人の出入りが全く感じられない汚い連れ込み宿の前だった。

場慣れした様子でさっさとドアを開けて入ると、入り口のカウンターに声をかける。

「親父!部屋借りるぞ」

カウンターの向こうで、誰かが頷いている気配がした。

 

「さて、寝るかな」

男は、ベッドに少女を放り出しマントを脱ぐと、小さな化粧台に備え付けられた椅子に座って言った。

ベッドにかけられたシーツは、最近洗濯されたばかりの清潔なものだ。部屋の中は、意外と小奇麗に掃除されている。

こんな場所を知っているなんて、まさか女衒だったのか。少女は唇をかみ締めて男を見た。

窓から入る提灯の光が、明かりのない部屋で男の瞳をきらめかせている。女衒というには、あまりにも無邪気に見えた。

このままでは、どこかの廓に売り飛ばされてしまう。少女は、ここからどう逃げようか考えを巡らせた。

ドアから逃げるのは無理だろう。男の座っている位置はドアに接近しすぎている。ここは2階だ。窓から飛び降りるのは無謀すぎる。

戦おうにも、自分と比べたら体格の差がありすぎる。そして、隙だらけなようでいて、男は付け入る隙を見せない。ただ、微笑んでこちらを見ているのが、余計に少女の恐怖を煽る。

男はおもむろにベッドに近づくと、少女の肩に手をかけた。

「いってーェ!!」

少女の小さな歯が、勢い良く男の手に食い込んだ。

その瞬間、ドアに向かって走りだしたが、首根っこを掴まれて引き戻されてしまう。あぐらを組んだ足の間に挟まれて、身動きができなくなった。

「いてーな、おい・・・・手は出さねーから、大人しく寝てろ」

赤くついた噛み跡を、ふーふー吹きながら男は言った。

「オレは、ガキには添い寝専門なんだ」

そんなことを言っていても、何か下心があるに決まっている。用心深い目で自分を見る少女に、男は破顔した。

心を読んだように言う。

「下心がないこともない。お前、オレの知ってるヤツと歳が近いんだよな」

驚いている間に脇の下に腕が回されて、寝かしつけられる格好になっていた。逃げようにも、男の腕の力が強くて逃げられそうにない。

どうやら、本当に何もする気はなさそうだ。そういう趣味があるのに当たったのかもしれない。少女はひとまず諦めて、男が寝入るのを待ってから逃げることにした。

男は枕語りのつもりなのか、話し始めた。

「そいつはクソ生意気なガキなんだが、なかなか骨のあるヤツなんだ」

そう低くもないのに、よく通る声が身体に響く。

少女は、懐かしいような、どこか不安で落ち着かないような気持ちが、大きな波になって襲いかかってくるのを感じた。このまま、男の胸にすがって泣いてしまいそうだ。

顔をうずめたシャツからは、乾いた太陽の匂いがする。

いつの間にか寝入ってしまったことに気付いて、はっとした。しかし、眠ってしまったのは少しの間だけだったようだ。

男はまだ語り続けていた。

「・・・・・・オレみたいな海賊になるって、うるさくてよ」

一気に体中の血が沸騰した。

思い切り腕を振り払って、ドアに駆け寄ったが、男は少女を捕まえようとしなかった。待て、とも言わないで、じっと少女を見つめているだけだ。

不審に思って少女がふり返ると、男は無言で何かを投げて寄越した。少女が目当てにしていた物が、今その手の中にあった。

少女は、息を荒くして金の詰まった袋を見た。なぜだか、ちっとも嬉しくなかった。

走り出した少女の耳に、男の声が届く。

「ああいうセリフは、好きな男のためにとっとけよ」

 

最後に見た男の表情は、どんなだったろう。

終始そうだったように、笑っていたのだろうか。寂しそうにしていた気もする。それとも、顔なんて見なかったのかもしれない。

通り過ぎる廓が、踏み潰された色紙のように、くしゃくしゃになっていくのが見えた。

めちゃくちゃに街を駆け抜けていると、男と出会った場所に行き着いていた。

立ち止まって皮袋を見つめる。震える手で投げ捨てようとしたが、それは叶わなかった。自分はこれが欲しかったのだ。

それなのに、なぜ涙が止まらないのだろう。男は追って来なかった。

のろのろと歩き出す。身体に力が戻ったら、すぐにここを出よう。この街の明かりでさえ、自分の影を照らすことはできなかった。

私のことなんて、誰も気に留めないのだから。

 

 

+

 

 

ルフィたちは、航路の途中に小さな島を見つけて、食料と備品を仕入れに来ていた。

その中心部にある町では、ちょうどカーニバルが開催されていて、人々の歓声で賑わっている。

バカ騒ぎが大好きなクルーたちは、仕入れのことなんて忘れて、はしゃいでいた。

年に一度のカーニバルは、町中が総出で盛大に催されている。この一年にあったこと、全てが今日のためだと言わんばかりに。

夜空が不自然に見える程に明かりが焚かれ、この世の影は存在しないかのように見えた。

ナミは、自分の中にある影も、この光に照らされてなくなってしまえばいいのに、と思う。

気がつけば、クルーたちの姿が見えなくなっていた。辺りを見回すが、人の波がざわつくばかりで、知っている顔は見当たらない。

家々は色とりどりに装飾されており、道行く人々の目を楽しませるが、一人でいても色褪せて見えるだけだ。

ひょっとしたら船に戻ってしまったのかもしれない。様子だけでも見に行こう、と思い立つ。

小走りに人波をすり抜けて、静かな一角に出た。

華やかな通りを少し抜けた、どこかうら寂しい街道に一人の男が佇んでいた。

男はしたたかに酔っているようで、薄く笑った顔は座らずにゆらゆらと揺れている。

賭けで大勝でもしたのだろう。腰から下げた皮の袋が、容量オーバー寸前にじゃらりと音を鳴らす。

 

デジャヴ、だ。

 

でも、今度は間違ったりしない。

ナミは気配を殺して男に近付くと、その背中に寄り添って耳元に囁いた。

「今夜、あたしと寝ない?」

顔をうずめたシャツからは、乾いた太陽の匂いがする。

ルフィは大して驚いたそぶりも見せずに振り返ると、ナミを見て、微笑んだ。

 

03/7/12

 

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