兄弟ごっこ

 

 

退屈な医者との対話が済むと、セイハはメイドを伴って外の空気を吸いに出た。

澄んだ青空を見ながらする深呼吸は、時折厄介な咳を吐き出す肺を浄化してくれる気がする。丁寧に手入れされた庭の木々を見ながらゆっくり裏庭へ回って行くと、いつものようにブゥンと空を切る音が近付いてきた。

一定のリズムを保って何度も繰り返されるその音を聞き、セイハの頬は緩んだ。兄が剣の練習をしているのだ。

ここの所は体の調子が良いようだ、と医者は言っていた。今がチャンスだ、とセイハは思う。メイドの制止も振り切って裏庭へ駆けて行くが、気付いているのかいないのか、素振りをしている兄は振り向きもしない。

少し走っただけでも息が上がるセイハの体とは違う、強靭に鍛えられた少年の肉体が大人になる一歩手前の危うさを残してしなやかに動いていた。

「な、兄ちゃん、ぼくにも剣の使い方教えて」

いつの間にか間合いに入ってこようとしているセイハが目に入り、タクミは素早く剣を鞘に収めた。

ここまで走ってきたのだろう、真っ赤に染まった頬と潤んだ目がタクミを見上げている。激しく上下する小さな肩を見て、タクミは密かに恐れを感じた。
高熱にうなされるセイハを抱いた時の感触が、腕に甦る。

「おまえには無理だよ」

「ぼくだって練習したら立派な剣士になれるかもしれん」

「だから、無理だって」

「無理じゃない」

タクミは息を吐きながら、目を逸らした。
病弱な体付きに似合わず、一端こうなるとセイハは岩の固まりのようになる。
口元を引き締めて自分を見上げるセイハを横目に見ながら、もう一度ため息を付く。しゃがみ込んで、剣の柄を差し出した。

それまで兄弟のやり取りを見守っていたメイドが小さな悲鳴を上げ、弾かれたように屋敷へ走り出した。

タクミは思わず舌打ちした。セイハは剣を握りしめながら、刀身を見つめている。弾かれた日がセイハの目に映って鈍く輝いた。

「まず、その剣を持ち上げてみろよ」

「うん」

セイハの細腕では、練習用の剣を持ち上げることすら叶わないだろう。それでは、練習以前の問題だ。そう言い聞かせるつもりだった。
セイハが剣を持ち上げようと膝に力を入れた時、ヒステリックな女の声が裏庭に響いた。

「セイハ!」

声のした方を見ると、細身の女が3階の窓から身を乗り出すようにしてセイハを見ていた。女は少し取り乱した様子で、メイドが後ろから腰を支えていなければ今にも窓から落ちてしまいそうだ。

「今すぐ剣から手を離しなさい!」

「でも、ママ、」

「今すぐよ!」

「うん…わかった」

セイハは名残惜しみながら、剣の柄から一本ずつ指を離した。
乾いた音を立てて芝生に転がった剣は、あれだけ憧れた輝きを失って鉄の固まりと化している。項垂れたセイハを見ながら、タクミはこの場を離れた方が良さそうだと判断した。

タクミが軽々と剣を拾い上げると、まるで柄が手に吸い付いているかのように収まった。セイハは息を止めてタクミを見た。柄を握った時点で、自分には持ち上げることすらできないとわかっていたのだ。

「兄ちゃん」

剣を体の一部にした兄は、もう用は済んだと言いたげに振り向いた。

「きっと、また教えてな」

きっとタクミは約束をするという自信があった。セイハの命が不安定な限り、タクミは何度でも約束をするだろう。それがセイハをこの世に繋ぎ止めているというタクミの過信を、セイハは知っている。

「約束じゃ」

「…ああ、約束する」

踵を返した兄の背中をセイハは見た。

これからタクミはゴウの元へ向かうに違いない。タクミを受け入れることができるのは自分とゴウだけなのだから。ゴウはセイハの理解者であると同時に、強烈に敵愾心を抱かさせる相手でもあった。

ゴウのように丈夫な体があったら、ゴウのように優れた刀鍛冶であったなら、タクミは自分だけを見てくれるのだろうかとセイハは夢想する。しかし、ゴウに嫉妬を抱きながらも、迷いのないタクミを壊してやりたかった。それができるのは自分しかいないというセイハの過信を、タクミもまた知っている。

 

05/02/02

 

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