もしもの話
「よんじゅう…」 と、刀を一閃させて、血煙を避けながら指を折る。 「よんじゅうに、だ」 瞼に飛んできた血を拭いて笑ったルフィが、ゾロの右手の人差し指を畳ませた。 嵐は収まりつつあり、雨も今はそう酷くない。 とはいえ、昨晩から船を離れて森の中を飛びまわっている二人の着衣はびしょ濡れで、袖や裾から雫が垂れているような有様だ。 「――よんじゅうさん」 雫を撒き散らして、ルフィがトンと軽く飛ぶ。吹き飛んだ男は太い木の幹にぶつかって、気を失った。 住む者も少ない小さな島で、過ごした数日は非常に平和だった。 明日の朝にはログが溜まるという段になって嵐がやって来たが、ナミの見通しでは明朝の出航には問題ない。 今夜はおとなしく船でのんびりと過ごそうと、すっかり気を抜いていたところを海賊狩りに襲われた。 「もし」 真っ先にターゲットにされたのは、偶々甲板にいたナミだった。 腕を斬りつけられて苦しそうに膝をついたナミを見て、海賊狩りは下卑た笑いを口元に浮かべた。 その口元を有り得ないほど歪ませたのはキッチンから飛び出してきたサンジの蹴りだったが、 甲板にいればきっと自分が海賊狩りの首を飛ばしていたとゾロは思う。 「ナミと同じぐれェの力量を持った航海士がいて、それが男で、それが強かったら、お前はどうする」 そして、ルフィが甲板にいれば、海賊狩りはルフィによって倒された筈だ。 サンジに遅れてキッチンを出、傷付いたナミを見た時にルフィの気が冷たく凍ったのをゾロは感じていた。 「つまんねェよ、ゾロ」 と、ルフィが笑う。何がつまらないのか問い返そうとしたところでまた敵が木陰から飛び出し、開きかけた口をゾロは閉じた。 「よんじゅうよん」 「何が、つまらねェ」 「もしもとかの話――よんじゅうご」 泥でぬかるんだ獣道に叩き付けられた男が、悶え苦しむ。飛び散った泥に顔を顰めて、ルフィは笑うのを止めた。 二人で船を飛び出し、森へ飛び込んだ。 揺れる上に濡れた甲板の上では戦い難いとの判断からだったが、見とおしの悪い森の中では小人数しか相手に出来ず、時間ばかりがかかってしまう。 夜明けまでに戻れば良いといっても、そう強い相手でもない戦闘が長く続くのは退屈で仕方なかった。 ばしゃばしゃと歩く音に紛れた小さな音に、ゾロは鋭く振り向く。 飛んで来た銃弾はルフィの背中にめりこんで、目一杯にそのゴムの体を伸ばしてからやって来た方向へと戻っていった。 「あー、ビックリした」 「いや、ビックリしてんのは向こうだろうよ」 と言って、ゾロは狙撃した男の登った木を切り倒す。体勢を崩しながら落ちて来た男の首に刀を突きつけ 「44人ぶっ倒したんだが、あと何人残ってんだ」 と聞いた。 「ゾロ、45人だ」 ルフィに正されて「45人だそうだ」と言い直し、顔を顰めて腹いせに刃を少し滑らせた。 「答えろ」 「あ…あと…ふ、」 震える所為で、薄かった傷が深くなる。 「ふたり」 と答えきる前に、横合いから飛んで来た矢で頭を撃ち抜かれ、男はそのまま横倒しに倒れてしまった。 「使えねェヤツだぜ。策ってものを知らねェ」 フンと鼻を鳴らして、大柄な男が倒れた男を睨みつける。隣に立っていた男は構えていたボウガンを下ろし、無表情に一歩分体を下げた。 「そいつの言ったとおり、残ったのは俺達二人だけだ。ニ対ニでお前ェらに勝てるとは思っちゃいねェ。 今日のところはこれで引くから、そっちも引いちゃくれねェか」 「ずいぶん勝手な言い草だな」 仕掛けて来たクセ、自分が不利になったから手打ちを申し出るなど、傲慢にもほどがあるだろう。 担ぐように刀を構えて、ゾロは二人を睨み付けた。 「どうせ、殺さねェんだろう?お優しい海賊さんよォ」 男はせせら笑い 「全員気を失ってるだけで、誰も死んでねェ。そりゃもう、見事なほどにな」 と両手を広げる。 よくもそんな事でグランドラインを渡って来たものだと、馬鹿にされているようだった。 「殴りてェなら殴られてやっても良いがな、そりゃどっちにも面倒なだけだろう?お前ェらは俺らを殴る手間が省ける、俺らも苦しまねェで済む。 良い話しじゃねェか。だから――」 グシャリと、目の前にいた二人が一瞬にして押し潰されるように倒れる。 「お前ェらが面倒だ」 と口を尖らせてルフィが呟き、全くその通りだとゾロも思った。木々の間から空を見上げると、少し明るさを湛えたように見える。 雨も止み、夜明けが多分近い。 歩き出そうとしたところで、ボウガンの男が体を起こした。 「殺さなかった事を、あんた達はいつか後悔する事になる」 泥に塗れた手で泥に塗れた顔を拭い、はっきり見えないが笑っているらしい。 「海賊として生きていくからには、この世のどこにも安住の地がないと思い知れば良い」 それだけ言うと満足をしたのか、口を閉じた。俯いて、痛む腹に手をあてて動かないでいる男を置いて、ルフィが先に歩き出す。 「港はどっちだ」 「さあ」 頼りない会話を続けながら、気を失っているばかりの男達を踏み付けて、時には避けて森の中を進む。 「俺は後悔しねェ」 と言った、ルフィの声がいつもとは少し違う真面目な声であったので、ゾロは足を速めてその顔を覗き込んだ。 やはり真面目な顔をしていたルフィは、真っ直ぐに前を見つめている。 「後悔しねェよ」 「…賭けるか?」 ゾロも前を見つめてそう言うと、ルフィが「ししし」と笑った。 「賭けても良いけど、ゾロから貰うもんなんかねェしな」 のろし、と空を指差して駆け出すルフィの背中を追って、こうしている間は、自分もずっと後悔をする事などない。 そして、勝つにしろ負けるにしろ、ほとんど全てのものはこの男の手に既に握られてしまっているのだと改めて思い知らされた。 結局、ルフィの言う通り「もしもの話」というものはつまらないと、ゾロは思う。
なない様の3knotにて、ゾロカウント110,011番をcroeが踏ませていただきました!
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