距離・位置

 

 

――コンコンッ


夕方の音楽室に礼儀正しいノックの音が響く。

「失礼します」

がらりと戸を開けた少年は、窓から刺す夕日をまともに直視したらしく、眩しそうに目を細めた。

肌、髪、目、どれをとっても色素が薄く、恐らくどこかで西洋の血が混じっているに違いない。
整った顔立ちに精悍な体つき。
どこから見ても美少年という言葉がぴったり来る。

右目の下の黒子が、彼の印象をより強く感じさせる役割を担っているようだ。


「監督、いらっしゃいませんか?」

少年跡部景吾は戸を後ろ手に閉めると、中央にあるグランドピアノに近寄った。
ピアノに手をかけて立つ姿は一枚の絵のようだ。

私は彼に気づかれないように、彼の死角にそっと移動した。


「どうした」


跡部はいきなり声がしたことに驚いたのか、怪訝そうに音の方向を探りながら返事をした。

「アップが終わったので監督を呼びに」

「そうか。ところで跡部、とある噂を耳にしたのだが・・・・」

「・・・どんな噂ですか」

跡部の顔が引きつったのが気配でわかった。
私は笑いを堪えるのに必死になりながら、こほんと咳をして続けた。

「お前と私の噂だ」

跡部は完全に黙ってしまった。
恐らく例の噂を思い出して青くなっているに違いない。


あー、それにしてもこれ、どーやってオチつけよう?


シリアスに進めるにはもう限界。
私はピアノからは死角になっている、教室の後ろに置かれたオルガンの陰で笑いをかみ殺していた。

跡部をからかうことに夢中でオチを考えてなかったわぃ。

こっちから告ってみるのもありか?
それで跡部にオーケーだされたらどーしよう。

やっぱり結果を太郎に知らせるべきかな?

それでオッケーだったら愛の仲人じゃん自分。


私はその場面を想像して腹筋が攣りそうになった。


、やっぱりてめぇか!」


「どわっ!?」

しゃがんだ状態で斜め上をふり返れば、不機嫌そうにオルガンにもたれながらこっちを見下ろしている跡部と目が合った。

「なんだ跡部か!びっくりさせんなよ〜、って跡部?なんでここが!?」

「どうも声の調子がおかしいと思ったら・・、バレねぇとでも思ってたのか!あぁ!?」

「だって、落とした消しゴム拾おうとしたら跡部が入ってきて私に気づいてない。こんなおいしい状況二度とないと思ったら口が勝手に」

「ざけんな!ったく時間を無駄にしたぜ、監督はどこだ?」


跡部は私の策にまんまと引っかかったことが相当悔しいのか、乱暴に髪をかきあげながらオルガンの椅子にどかっと座った。

私も立ち上がって隣のオルガンの椅子に座る。


「太郎は職員室。跡部と丁度すれ違ったんじゃん?あと少しすれば戻ってくるよ」

「そうかよ」

窓の外を見ていた跡部はふと気づいたように私の方を向いた。

「お前はここで何してんだ」

「ピアノ弾いてた」

私が告げた途端、跡部の動きがぴたりと止まる。

「・・・何止まってんの?」

がピアノ・・・・?」


跡部くんよ、私の答えは時が止まるほど意外だったか、こら?


「私だってピアノくらい弾けるわい」

跡部はおもしろそうに目を細めた。

「フン、どうせ大したことねぇんだろ?」

むかっ。
こいつほんと人をむかつかせるのが上手いな。


「跡部!グラウンド走ってこい!!」


私がお得意の太郎のマネをすると、跡部は目を少し開いてから横目で入り口を確認した。
目の前で私が声出してるわけだけど、でも一応確認しちゃってるあたりがなんとも・・・。

「やーいやーい引っかかってやがんの!バッカが見る〜、アッホベ見る〜」

、今度それやったら容赦しねぇからな・・・」

跡部は思いっきり私を睨みつけるが、全然いつもの迫力がない。


「はっずかし〜!さっき引っかかったくせにまた引っかかってるよこの跡部様は!」

ほんと跡部をからかうのは楽しいな〜!
向日もだけど、この跡部様は隙が少なくてなかなか罠にかかってくれないから。


跡部は涙目になりながらオルガンに突っ伏した私に、諦めるように大きくため息を投げかけた。

「声マネすんのが得意なのか?」

「うん、よく聞いてる人の声とかはだいたいマネできるね」

私は突っ伏している状態から顔だけ上げてこたえた。
腕にあごを乗せて上目で跡部を伺う。

「・・よくあんな低い声出せんな。普段はきぃきぃ高い声出してるくせによ」

「別に高くないと思うけど。ウチに兄貴が2人いるから男声出すのは得意なんだな」

「3人兄妹か?」

「そっ、末っ子。跡部は?」

「俺は一人だ」

「そんな感じすんね」

「はっ、どんな感じだよ」

跡部がいつも通り意地の悪い笑みを浮かべて私を見ている。


「でも、お前もそんな感じだな」

「どんな感じだよ」

私は思わずツッこんだ。
が、跡部はごまかしたり茶化すことなく真面目に答えた。

「お前には妹っぽい甘えた空気があるってことだ」

「なんだそりゃ?妹らしくてとっても可愛らしいってこと?」

「・・・ほんとバカだなてめぇは」

跡部は私のセリフを聞くと脱力したように深いため息をついて立ち上がった。
私がむっとした顔で跡部を見上げていたからか、跡部は少し口の端を上に持ち上げた。

大人のよくする苦笑、ってものに似た笑い。

その表情から目が離せないでいる私の頭を軽くぽんっと叩いて、跡部はにやりと笑った。

「こういうとこだ」

「へぃ?」

「じゃあな」

いきなり頭を叩かれてびっくりした私を残して、跡部はさっさと音楽室を出て行ってしまった。

跡部の去った扉を呆然と見つめながら、一体私のどこらへんに甘えたところがあるのかを考えてみた。
甘えている、とかいう言葉ははっきり言って私の嫌いな言葉ナンバー3に入る。
もし甘えてるところがあるならなくしてしまいたい、のだが・・・・。

なんっか跡部は特に嫌がってなかったよーな?

甘えた性格の奴がそばに居たら絶対不愉快に思う奴だと思ってたんだけど。
実はそーでもないってことか?

私の頭の中にははてなマークが飛び交っていた。

でもまぁ、こんな風に穏やかに跡部と話せただけでも収穫があったかな。
よく考えなくても跡部と普通の会話らしい会話したのはこれが初めてじゃん。

なんとなく跡部との距離が縮んだ気がする。

私はいつも以上に明日のお昼を楽しみにしていることに気が付いた。
明日が楽しみだなんて、いつぶりだろう。

私は思わず笑いがこみ上げてきてクスクス笑ってしまった。


さぁ、じゃあもう帰ろう、明日に備えてたくさんお弁当の具を仕込まなきゃ。
跡部をぎゃふんと言わせるような、すっごい弁当作ってやるぞ!!

 

 

 


back  03/10/19