Little L

 

 

手塚国光の朝は早い。従って、登校時間も早い。

早朝の空気に包まれた人気の無い校舎は、昼間とは全く異なる厳粛な様子で建っていた。

校舎内はまだ薄暗い。
電気を点けるほどではないが、本が読めるほどの明るさはない。


下駄箱を開ける。
と、綺麗に揃えられた上履きの上に、10cm四方の白い紙が置いてあった。


――今すぐ会いに来てください


中央に小さくそう書いてあるだけの紙だった。

下駄箱にはこの紙以外、何も入っていない。
見た事のある筆跡だが、誰のものかすぐには思い出せずに、手塚はその紙を片手に少し考えた。


――越前だな


犯人の顔が思い浮かんだ手塚は、さっさと上履きを履いて1年2組を目指した。

 

 

1年の階には人気が全くなかった。

リョーマの教室を扉の窓から覗いてみるが、誰もいないようだ。
扉を開ける。中はやはり薄暗い。

「越前、いないのか?」

返事はない。教室を見渡すと、窓際の一番後ろの席に、何か白い物がある。
近づいて手に取ってみると、先程と同じ紙だった。

ただし、書いてある事は違った。


――見つけてください


何をだ?

手塚は心の中で素早く、いわゆるつっこみを入れた。

大体この手紙の意図は何だ。名前すら書いていない。
手塚にあてたものかどうかさえ疑わしい。
しかし、筆跡が越前の物である事は間違いない。ならば直接本人に問いただすまでだ。

手塚は紙を握り締めると、放課後の部活時に聞けばいい、などとは露程も思わずに教室を後にした。

 

 

校内を駆け回っているうちに、至る所でその紙を発見した。

書いてある事は全て違ったが、訴えている事は全て同じだった。


――部長もまだまだですね


これは部室のリョーマのロッカーの扉に貼ってあった。
どうやら手塚宛てである事が判明した。


――もっと急いでください


これはリョーマがよく昼寝をしている屋上のドアに貼ってあった。

見つけた紙を全て回収している手塚の手には、既に十数枚の紙が握られていた。
紙は手の汗でしんなりしてしまっている。

手塚の眉間は、これ以上はない、というほどしかめられていた。


「どうした手塚、あんたが廊下を走るなんて」

「竜崎先生」

ほぼ校内一周を終えた所で声をかけられた。
額には軽く汗が浮かんでいる。

「走ってはいません、急いでいるだけです。ところで越前を見ませんでしたか」

急いでいると走っているの違いはどこだ、と竜崎は思った。

「越前?そりゃ丁度良かった。『部長が自分について何か聞いたらこれを渡してください』って今さっき渡された所だったんだよ」

そう言って竜崎がポケットから取り出した物は、やはり例の紙だった。


――そろそろリミットです


「・・・先生、これはどこで?」

「ん?職員用下駄箱の前でだよ」

「ありがとうございました・・!」

手塚はそう言うや否や、彼としては走っていないつもりのスピードで、歩き出した。

 

 

職員用の下駄箱の辺りには誰もいなかったが、生徒が大分登校してきたようで、学校はいつも通りの喧騒に包まれていた。

そして手塚はというと、訳も分からず焦り始めていた。

何としても越前を見つけなければならない。それも早急に、だ。

リミットとは、一体何に対してのリミットなのか。
時間か、距離か、それとも・・・。


――少し落ち着こう。


手塚は下駄箱に寄りかかると、汗で湿った前髪をかきあげた。

『職員用図書室』

目の前には小さなプレートのかかった重そうな扉があった。

――ここはまだ探していない

手塚はためらう事なく扉に手をかけた。

「失礼します」

鍵は開いていた。後ろ手に扉を閉めると、辺りは急に静かになった。

職員用図書室は二間になっているようで、手前の間には大きなソファとこまごまとした雑貨が置いてある。

「越前!いないのか?」

返事はない。
しかし手塚は埃っぽい空気の中に、確かな越前の気配を感じていた。

奥には四方を本棚に囲まれて、小さな机と更にそれを囲む椅子四脚があるだけだった。


越前は入口正面の本棚に背を預けて、こちらを見ていた。

手塚と越前は机を挟んで向かい合う。

「これは何なんだ?」

手塚は今までに見つけた全ての紙を、机の上に置いた。

越前は本棚から背を浮かすと、机の前まで来て紙を1枚1枚確認しはじめた。
その間も全くの無言である。

「越前、何とか言ったらどうだ」


「・・・部長、ひょっとして校内全部回りました?」


視線は手元に落としたまま、越前はぽつりと言った。

「ああ、まさかここにいるとはな。生徒は立ち入り禁止だぞ」

「・・どーりで・・・」

表情は良くわからないが、苦笑しているような気配が伝わってきた。

「どうりで、何だ?」

越前は顔を上げた。
笑っているのか泣いているのか、その両方を混ぜたような顔をしていた。

「全部集まってますよ。・・スタンプでも押しましょうか?」

越前はくすりと笑って手塚を見た。

「なるほど。・・それで何故こんな事をした?」

話題をそらそうとしたのは分かったが、それに乗る訳にはいかない。

越前は、また手元に視線を落とした。


「・・・見つけてほしかったからです」


「俺に?お前をか?毎日会っているだろう」

越前は首を横に振った。
細い首は、今にも折れてしまいそうだ。

「違う・・・」

「何がだ」

越前の様子が弱まるのに対して、手塚の口調には少しづつ厳しさが増していった。


「それが、分からないんです」


越前は声を絞り出すようにして言った。

「・・わからないのに見つけて欲しい、というのは難しい注文だな」

相変わらず手元を見つめたままの越前を、手塚は真っ直ぐに見詰めていた。

 

越前は深く空気を吸いこみ、大きく息を吐いた。

「すいませんっした、迷惑かけて。もう教室戻ります」

俯いたまま自分の脇を通り過ぎようとした越前の肩を掴む。

「越前」

「・・・何すか」

一瞬にして身体が強張ったのがわかった。少し、震えている。

「お前はここにいるだろう」

「・・・?」

越前は心持ち顔を上げた。


「お前がここにいて俺もここにいる。どこにあるのか分からない物を探す事よりも、こちらの方が大事だと思うが」


越前はしっかりと手塚を見ていた。ぽかんとしている。

「それともお前は、俺すらも見つけられないのか?」

肩から手を離した。

「部長・・!」

越前は手塚が行ってしまうと思い、慌てて手塚にしがみついた。

「・・・越前」

手塚は、優しく越前を腕の中に包み込んだ。

「会いたくなったらいつでも会いに来い。迷惑なんてことはない。声が聞きたいなら、電話でもしろ」

手塚にしがみつく越前の力が強くなる。

「・・・今回のようなのはもうやめろ。いい運動にはなったが、・・心配した」

「・・・ゴメンなさい」

越前は強張っていた体の力を抜くと、ゆっくりと両手を手塚の首に回した。

「ありがとう」

 

 

二人が気がついた時には、一時間目はとっくに始まっていた。

「サボりましょうよ」

「駄目だ、行くぞ越前」

手塚はドアの方に向かった、が。


「部長・・行っちゃうんですか・・・?」


と越前が寂しそうに言った為ふり返った。

そこには、飼主に置いていかれた子犬が寂しそうに両耳をうなだれている、としか形容できない様子でしゅんとしている越前がいた。

手塚は軽く息を吐くと、越前の方に向き直った。


「・・・一時間目だけだぞ」

 

結局一時間で済んだのかどうかは、当人達のみぞ知る。

 

 


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