ルフィの背中を見つめていたら、胸に言葉の種が降りてきた。

 

 

帰りたくない

 

 

いつも自分の背中ばかりを見せているくせに、いつもナミを背中から抱きしめるのはルフィの役目だ。 何も言わなくても欲しいものをくれるから、動かないルフィの背中を見ていると、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。 こんな寂しい夕暮れ時に、一人ぽつんと立って、静かな海を見ている人に、何と声をかけたらいいのだろう。

急に分からなくなってしまった。

今までは自然にやり過ごしてきたことなのに、急に分からなくなってしまった。

ルフィは海の向こうを見ているように見える。水平線の向こうには、お別れしてきた人がいる。島がある。思い出がある。 今すぐ何か言わなきゃいけない、とナミは思った。

これまでどんな風に喋っていたのだっけ。そんなことまで分からなくなってしまった。 時間が切れ目なく流れているから、声を挟む暇もない。胸に降りてきた種は芽を生やし始めているのに形をまだ見せない。 必死で言葉を探している間にも種は急速に成長し、根を張りだした。そのせいで体中がざわざわしている。 静かな海の上で、自分一人だけが騒音を発している気がした。でも、ルフィは気がつかない。

こんな寂しい夕暮れ時に、一人ぽつんと立って、静かな海を見ている人は。

今すぐルフィのためにしてあげたいことがあるのに、言ってあげたいことがあるのに、それが分からない。

(振り返って!)

胸の中で叫んでみる。でも、ルフィは気付かない。これじゃダメなんだわ、とナミは焦りを感じた。 故郷を思い出して、どんな言葉が自分を繋ぎとめてきたのか思い出してみる。それでもルフィにかける言葉は見つからない。 ロビンのようにたくさんの本を読んできたならば、こんな時にも困らないで済むのかしら。 思ってみても、ただ焦りが募るばかりで。

すっかり緑になった体から、蕾がいくつも顔を覗かせているのが分かっても、まだ花が開く様子はない。 ルフィの背中がぼんやりして見える。諦めきれず、途方に暮れて呟いた。

「私、帰りたくない」

「ん?」

ルフィが振り返った。

その顔は逆光でよく見えないが、ナミの突然のセリフに驚いているに違いない。 その様子を想像してナミはおかしくなった。ルフィの隣に歩いて行きながら、ナミは繰り返した。

「私ね、帰りたくないの」

段々ルフィがどんな顔をしてるのか、はっきりと見えてくる。暗い影がオレンジの光に変わっていく。

ルフィは―――満面の笑みを浮かべてナミを見ていた。

「帰るって言われても帰さねぇぞ」

ナミは笑いを堪えているような、呆れているような表情で、ルフィを背中から優しく抱きしめる。 前で組んだ両手にルフィの手が重なって、今や咲き誇るたくさんの花を赤く染め上げていく。 腕で、胸で、体中で気持ちを伝える。

もう、言葉はいらない。

 

04/3/26 04/11/14改編

 

   BACK