私がオバサンになっても

 

 

真っ白な花をふんわりとまとめた中に、小さな青い花をアクセントとしてあしらった。
良い出来だ。

空の者達と恐る恐る接触を始めた頃、年上の静かな少女にこの花輪の作り方を教わった。
命を賭した戦いの一つも知らないであろう細く白い指先から、可憐な花輪が編み出される様子にいつまでも見惚れていたものだ。
シャンディアの女にはないしとやかさに憧れて、あれからいくつ花輪を作ったか知れない。
いつの間にか、手元を見ないでもイメージした花輪が作れるまでになった。
ただ、あの頃憧れた少女のように自分が成長できたなんて、少しも思えないのだけれど。

完成した花輪を通して見た世界は、春の喜びを謳う花々の香りで桃色に霞んでいる。
急に胸がむかついて、アイサは花輪を遠くへ放り投げた。花粉がいくらか肺へ入り込んだせいに違いない。
アイサの周りには、黙々と作り続けていたたくさんの花輪が散らばっている。

草原に倒れこんで空を見上げても、花輪の白が目の中で未だ眩しく光っている。
きっと縮れた花びらがラキが被っていたヴェールのレースを思わせたからだ。
きつく目をつむると、涙がじわりと鼻腔へ侵入してくるのを感じた。
微かな大地の揺れが来訪者の近い訪れを知らせているが構うものか。このまま寝たふりを続けてやるつもりだ。
誰が近づいてきているかなんて、ずっと前からマントラが知らせてくれているんだから。

小さな足によって踏まれた花の跡が、点々と大地を塗りつぶしている。
そんな美しい光景も直視できず、カマキリはモヒカンを震わせながら己の爪先を見つめていた。足跡を追っていけばアイサの所に辿り着くことは分かっていたが、会った所で一体なんと言葉をかければ良いのか分からず立ち止まっていたのだった。
ラキからアイサに、と託されたブーケすら呪いのアイテムのようで、早く手放したいことこの上ない。
なんと言って手渡したら良いものか……

『やぁアイサ!こんなところにいたのかぁ!ハハハハハ!はい!ブーケッ!』
…脈絡がなさすぎる。

『偶然だなぁ!式場から1km離れた場所にお前がいるなんて気付かなかったゼ!』
…少々恩着せがましい。

『オイオイ!このぐらいのことでくよくよすんなって!おれを見・ろ・よ☆』
…自虐的だが、我ながら説得力があると思われる。

よぅしっ!これで行こう!と決心したカマキリは、猛ダッシュでアイサを目指し始めた。
一方、本当にうとうとし始めていたアイサは、強烈な気配の持ち主がありえない速さで近づいていることに気付き、ビクリと肩を震わせた所だった。

目を上げた途端、背後に花嵐を巻き上げながらカマキリが走ってくるのが小さく見えて、アイサはうんざりした。 うっかり目が合ってしまったらしく、今更寝たふりもできない。
見えない星を飛ばしながらウィンクされたから間違いない。
どうしたらあんなテンションをいつも保っていられるんだろう…
アイサはなるべくカマキリを見ないようにして思いに沈んだ。

カマキリはいつだって何に対してだって一生懸命だ。今日だって、本当は断りたかったはずなのに喜んで友人代表の言葉役を引き受けていた。
ラキとワイパーの結婚式なんて、出席するだけで大変な勇気がいるんだろうに。
カマキリがラキのことをずっと好きだったなんて、誰もが知っていることだろうに。
大人って残酷だ。そして、カマキリは馬鹿だ。

こうして式にすら出ない自分も馬鹿だと思う。
もう大人なんだからと言い張ったりもするくせに、都合の悪い時だけ子どもじみた駄々をこねるなんて。 きっとカマキリがいつものように馬鹿みたく慰めにきてくれるってどこかで期待しているなんて。
本人はうんざりする存在だが、近づいてくる気配をぼんやり感じているのは嫌いではない。
もうすぐ、何を言うか考えすぎたカマキリが馬鹿をやらかすに決まっている。
ほら、もうすぐ…

「オイオイ!このぐらいのことでブッッドボョガウブブー!?うぐぉわーっっ!!」

勢い余って盛大に舌を噛んだカマキリは、うずくまった拍子に尖った岩で頭を強打して草原を転げ回った。 ショックで霞んだ視界がハッキリする頃には、潰れた野草が一張羅をすっかり緑に染めている有様だった。
目の前にいるアイサは、冷めた目で自分を見下ろしている。
練りに練ったセリフも吹き飛んでしまったカマキリは、呆然とアイサを見上げた。

祝い事の髪に結い上げて、伝統の衣装を身に付けたアイサは美しいとしか言えない。
春の花で編み上げた花輪が周囲を彩り、草原で羽を休める小さな天使のようだ。
痛みで流れる涙によるキラキラした効果が何か関係しているのかもしれないが。
だが、そうだ。あの不器用すぎる二人がようやく結婚を決めるほどの時間が経ったのだ。
どこまでもちんちくりんだったアイサが成長したのも当然か…
そう考えると感慨深いものだ、とカマキリは改めてアイサを見つめた。

「気持ち悪いんだけど」

…口は相変わらず悪いようだ。
気を取り直して、せめて服に付いた草を払いながら立ち上がった。
草が余計にこびり付いて見えたのは気にしないことにした。

「や、やぁ!アイサ!こ、こんなところにいたのかぁ!ア、アハハハハ!」

「あたしがどこにいたってカマキリに関係ない」

アイサはあまりに予想通りなカマキリの登場に呆れながらも、段々と気持ちが落ち着いていくのを感じていた。
そんな気持ちとは裏腹に、憎まれ口を叩いてしまう自分がますます嫌になる。
カマキリはアイサの態度を全く気にしていないみたいに笑っている。まだまだ自分を子どもだと思っているんだろう。
そう考えると、落ち着いていた気持ちが気のせいだったみたいにぐらぐらと揺らいできた。
カマキリを傷つけると分かってはいるのに、癇癪が起きるのを止められない。

「何しに来たの…今日は大切な仕事があるんでしょ。こんなところに?いていいの?」

「もう終わったんだ。おれの素晴らしいスピーチ聞かせたかった!みんな涙してたしな!」

「……聞いたら食べたもの、全部吐いちゃったかもね」

ああ、どうしてカマキリはこんなに優しいんだろう。
もっと怒ってくれていい。いつまでも子ども気分でいるんじゃないって、だから子ども扱いされるんだって。そっちの方がよっぽど気が楽になる。
こんな時、カマキリがただの馬鹿なら良かったのにと思う。
あんまりワザとらしく優しくするから、少しは馬鹿なふりをしてるだけなんだって思い知らされてしまう。

「っ!?な、泣いてるのか!?もしかして、さっきおれとどっかぶつかったか!?」

「……違うよ。カ、カマキリがあんまり馬鹿すぎて泣けてきたのっ」

「な〜んだ〜。おれが馬鹿すぎて泣けてきたのか〜…て、オイ」

涙を止めることを諦めたアイサは、カマキリの大きな手が近づいてくるのを睨みつけていた。少しでも目を逸らしたら負けてしまう気がしたのだ。
何に負けてしまうのかは分からなかったのだけれど。
カマキリは黙ってアイサの頭を撫で始めた。
綺麗に結った髪を崩さないよう、あんまり力を入れないよう、気を付けながら撫でている。

これまで、カマキリのモヒカンは流行に乗っているつもりなんだと思っていたけれど。
気を使いすぎてできたハゲを隠すためなのかもしれない、とアイサは思い直した。
カマキリの優しい温かさが、手の平からじんわり伝わってくる。
これがカマキリの気配なのだから、当然のことなのかもしれない。
アイサのマントラがカマキリを感じる時、それは温かい痛みを伴う気配なのだ。
胸が締め付けられる懐かしさ、そんな気持ちに似ているかもしれない。

「まぁ、なんだ…くよくよすんな。おれを見ろよ…」

ようやく第一候補のセリフを言えたものの、感情が入りすぎて湿っぽくなってしまったのをカマキリは反省した。実際、ラキのことを全く気にしていないと言ったら嘘になるが、アイサが思うほどではないのは確かだ。
ラキのことは心から愛しているが、ワイパーのことも仲間として心から愛しているからだ。
二人の結婚を祝福する気持ちに嘘はなく、嫉妬の気持ちなど微塵もない。
いつだったかハッキリとは思い出せないほどフとした拍子だったのだが、それを自覚した時に自分は大人になったのだろう。
今では、二人を思う気持ちが初めから同じものだったとも思える。それほど長い時間が過ぎた。時の力は偉大だ。
でも、目の前の子どもにそんな気持ちの切り替えができていないことは分かっている。
やっと女としての自覚が芽生え始めた矢先、尊敬する二人が結婚すると言い出したのだ。
大好きなラキを憧れのワイパーに奪われるという複雑な状況に戸惑っているのが隠し切れていない。
…ふぅ!仕方がないな!
ここはアイサが尊敬するカマキリとして、大人になるとはどういうことなのか教えてやるしかないな!

尊敬されているかどうかは別として、ここまでカマキリはめずらしく適切な対応を取っていたと言える。
その時アイサは、カマキリが言ったことに衝撃を受けて固まっていた。

カマキリがこんなに自信のない素振りを見せるなんて…やっぱり辛かったんだ…
それなのにあんなヒドイこと言っちゃった自分なんて、もう許してくれないかもしれない。
いつか結婚しようって冗談も、これからは言ってくれないかもしれない。
どうしよう…

傍から見た二人は、いわゆる”良いムード”であった。
無言のアイサが口付けをせがんでいるように見えてもおかしくない状況だ。
妙な緊張感が漂う中、ついに二人は口を開いた。

「…カマキリ、ごめんね…」

「…アイサ、おれが大人にしてやろうか…」

次の瞬間、カマキリはいつかその身に境遇を重ねた蟻の群れと再開することになる。
アイサ渾身のヘッドロックによって、カマキリは草原に突き立つ前衛的なモニュメントとなっていた。

『恋愛とは二人で愚かになる事だ』とポール・ヴァレリーは言ったが、当の二人はそう思わないに違いない。思わないには違いないが、まるで喜劇の始まりのように二人の恋は始まってしまったらしい。
その後、アイサがカマキリの助力によって大人になったり、カマキリがアイサの両親に土下座した瞬間に強く頭を打ちすぎて入院したりするのだが。

それは、二人だけが知っている物語。

 

06/03/29

 

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