あの鐘を鳴らすのはあなた

 

 

色とりどりの布地が風になびいている。
長く張ったロープには、たった今染めたばかりの織物が吊るされて、色鮮やかに青空を引き立てていた。揃いの民族衣装に身を包んだ若い女たちが、軽やかな笑い声を響かせながら布を干していく。
皆、揃いの豊かな黒髪に、アイラインを引いたようにくっきりとした黒目。
この部族には、美しい女が多かった。

その中でも一際目立つ女が一人。

周りの女たちが笑い声を上げる中で、その女は一人寂しく微笑むだけ。
艶やかな黒髪が風に揺れて、肌にこぼれる。つり目はきつい印象を与えるが、触れると切れそうな美しさも備えていた。
突風に巻き上げられた染物に包まれて空を見上げる様は、まるで古代の壁画のようだ。

そう、神々をも魅了する瞳を持つ女。古の女神の化身。)

「…おれの、ラキ…」

「カマキリ、そんな所で何やってんだ」

テントの陰から覗き見をしていたモヒカンが震えた。

「ち、ち、違うんだ!こ、これは、そのっ」

「また、ラキウォッチングか…」

ブラハムは呆れた顔でカマキリを見た。

カマキリがラキをストーカーのように追い回している所を目撃するのは、これが初めてではない。 ストーカーと言っても特に危害を加えるわけではなく、ただ物陰から見ているだけなので注意しなかっただけなのだ。
それでも、ラキからしたら相当気持ち悪いことだろう。最近では笑顔を見せることすら稀になってしまった。 あまりに目に余るので声をかけてみたら、案の定である。

「お前、そんな所で見てないで直接話しかけたらどうだ」

「そ、そんなこと、出来るわけないだろっ!!」

「じゃあラキは諦めろ。おれが女の一人や二人、紹介してやるから」

「…おれには無理だ。お前と違っておれはモテないからな…」

はっきり諦めろと言われて落ち込んだカマキリは呟いた。
ブラハムはモテるのだ。空の者達と交流が出来た今、その勢いは留まる所を知らない。
目深にかぶった怪しい帽子も、ちょっと太目の体格も、女達には気にならないらしい。
なぜかブラハムの周りには常に女の影が付きまとっている。
それは偏に、ブラハムのまめさの成果なのだった。

知り合った子の誕生日や記念日は絶対忘れずに、当日は花束の一つも贈り、愛の言葉を囁いたりする。その記憶力の良さは、林家某と比べても何ら遜色がないのだという。
いや、潜在能力においては上を行くとも言われている。

「まあ、とにかく会うだけ会ってみろ。話はそれからだ」

「…おれよりゲンボウに紹介してやってくれ」

自嘲的な笑みを口元に浮かべて言ってはいるが、そこはかとなく希望が込められているのをブラハムは感じた。
ゲンボウはカマキリと『彼女いない同盟』を組んでいる。
彼女が出来たら絶対報告しようね!と女子中学生のように約束し合っている仲なのだ。
カマキリは、ゲンボウのことを思い出して元気を取り戻し始めたようだ。
そんな様子を見てブラハムは開きかけた口を一旦閉じたが、意を決したように言った。

「ゲンボウの奴、彼女が出来たらしいぞ」

「……えっ!?」

ガクーンと顎を落として絶句しているカマキリを気の毒そうに見ながら、ブラハムは続けた。

「しかも、付き合って結構経つらしい。お前に言いづらいから、それとなく伝えてくれって頼まれたんだ」

「そ、そんな……」

「確かに伝えたぜ。ゲンボウのこと、あんまり悪く思うなよ」

ついには木の根元に両手を付いてしまったカマキリを残し、ブラハムはそそくさと退散した。

 

カマキリは、走馬灯のようにこれまでの人生を思い返していた。
それは、一言で言うと『彼女いない人生』なのであった。

意中の人に猛烈アタックをかけてはフラれ、諦めきれずに追いかけては振り払われる人生。
どんなに心を込めて告白をしようとしてもウザがられ、避けられ、何とか告白まで漕ぎ着けられたとしても

「私、ワイパー(あるいはブラハム)が好きなの」

と言われるのが常だった。そこまで考えて、カマキリは胸の苦しみにうずくまった。

ああ!おれって生きてる価値ないのかも…
さっきから自分の横を通りすぎて行く蟻の方が、よっぽど生きる喜びに輝いている気がする。 バッタを運んでいるコイツらの表情ったら何て輝いてるんだろう。
おれも蟻に生まれてくれば良かった。ねぇ蟻さん達、ぼくを仲間に入れてくれないかなぁ?

蟻に語りかけ始めた所で、ふとカマキリに陰が差した。心配したラキが様子を見に来てくれたのか!?

ブバ!と突風が起きるほどの勢いで顔を上げたが、

「なんで体育座りで蟻の行列見てんの?怖いよ?」

「なんだ、アイサか…」

そこには瞳を輝かせたアイサが立っているだけだった。
仕事を手伝おうと思ってラキに会いに来たアイサは、途中で木の根元に座りこんでいるカマキリを見つけた。
本当は通り過ぎたかったのだけれども、好奇心に勝てず、つい声をかけてしまったのだ。
アイサは顔を上げたカマキリを見て、自分の好奇心を呪いたくなった。

涙と汗でべちょべちょになったカマキリは、アイサの様子なんてお構いなしに思いっ切り鼻を啜り上げてから、再び視線を落とした。

(こいつは、まだまだガキだ。話にならねぇな……ん!?いや、待てよ!)

カマキリは、改めてアイサの顔をじっと見つめた。アイサは目を逸らした。

(今はこんなちんちくりんだが、これから先はわからないじゃないか。シャンディアの女たちは、代々美しい者が多いと聞く。
こいつだって、将来はラキのように、強く美しい女に成長する可能性があるのだ。
その過程を見守っていくのも、楽しいかもしれないな。時が経つに従って、美しくなっていくアイサをずっとそばで見守っていくのだ……

 

おれもその頃には、女たちの人気をワイパーと二分するくらい、モテモテになっているだろう。 なぜなら、歳を取って若い頃にはなかった男の色気が増したからだ。
今はフラレまくりのオレだが、この手の顔は中年になってから魅力を発揮するタイプだからな。 アイサは成長するに従って、そんな自分を意識するようになり始める。
もちろん、そんなことはとっくにお見通しさ!

幼馴染の兄貴分が急に恋愛対象になって戸惑うアイサを、おれは優しくリードする。
やがて二人の間には愛が芽生え、子供は10人、赤い屋根の庭付き一戸建てに、ダイヤル製造で一発当てて幸せに暮らす。
そして自宅のベッドに横たわり、アイサと子供たちに囲まれ、愛の言葉を囁かれながら最後の時を迎えるのだ。

墓標に、おれとアイサがいかに愛し合っていたかが延々と刻まれることは、まず間違いない。葬式は村総出で盛大に行われ、あらゆる者がおれの死を惜しんで嘆き悲しむ。
あのワイパーでさえ目に浮かぶ涙を拭いもせずに、こう言うのだ。

『あいつは、この世で最高に強く、気高い戦士だった』と。

歳を取っても変わらず美しいラキは、冷たくなったおれの頬に唇を寄せて、静かに最後の告白をする。

『本当は、あなたのことを一番愛していたのよ』と。

 

そう、いつか……

 

「……ぇ!ねぇってば!あたい、もう行っちゃうからね!?」

我に返ったカマキリは、鼻水をすすり上げながら充血した瞳でアイサを見た。
未来の花嫁は、傷ついた自分を労わるように優しい瞳でこちらを見ている。
実際は、汚い物を見ないように視線を逸らしていたのだが、カマキリは気付かなかった。

「アイサ…大きくなったら、おれと結婚するか?」

「やだ」

即答だった。
アイサは逃げるように走り去り、後に残されたカマキリは蟻の巣を必死に掘り始めた。
その何年か後、アイサが急に恋愛対象になったカマキリに戸惑ったり、カマキリがラキとワイパーの結婚式のスピーチで号泣したりするのだが。

それはまた、別のお話。

 

04/03/04→06/03/29改訂

 

BACK