太陽に近すぎた島

 

 

森を抜けると、静まり返った大地に集落の焼け跡と巨大な静寂が広がっていた。
生活の痕跡はすっかり焼け落ちて、かつての暮らしを知る手がかりはどこにもない。

いまだ燃え跡から漂う煙のせいで、焦げ付いた匂いが体に染み付いて離れない。
胸がむかついて、自然と頭が下がっていた。苦い味がじわりと広がる。
人の焼ける匂いに慣れた試しなんていっぺんもない。まとわりつく匂いは死者が残した呪いの言葉だ。まともに聞いていれば、引き込まれて狂わされてしまう。

唾を吐くと、ゾロは顔を上げて船に戻る道を目で探す。来た道なんてとうに忘れてしまったが、小さな島だ。歩いていれば、そのうち船に着くか誰かに会うだろう。
集落の残骸を踏みつけながら、潮の香りがする方へ緩い下り坂を歩いていく。

蜂を恐れた人々によって集落が焼き払われたかもしれないことも、もうどうでも良かった。自分は死者を甦らせる言葉なぞ語れず、死者の口から何が聞けるとも思えない。
次第に濃くなる空気で肺を満たすと、それまでほとんど息をしていなかったことに気付く。
ひどい耳鳴りと頭痛がしているのは、そのせいなのかもしれない。

「ちっ」

灰色の煙が細い糸のように見える距離で、ゾロは高台にある集落を振り返って仰いだ。
目の端で煙の影が揺らいで消えた。同時に、それが煙の影などではないこともゾロには分かっていた。一瞬見えた姿を木に隠したのは小さな影。
まだ子どもが生き残っていたのだ。

どこから尾けられていたのか 、仇討ちのつもりなのか、助けを求めているのか。
どうするべきか考えあぐねて立っていると、足音が聞こえないことに焦れたのか、ヤシの木の後ろから子どもの頭が顔を出した。目線を走らせる動きはぎこちなく緊張している。
だが、目が合った時には思っていたほどの動揺を見せず、落ち着いた調子で話しかけてきた。幼い頃のルフィを思わせる、少し甲高い声で。

「あんた、海賊だろ」

「そうだ」

「分かってるんだ。あんた達が村をむちゃくちゃにした奴らじゃないって」

「…そうか」

ルフィはどうしているのだろうか。森で別れてからは足音も聞いていない。
頭痛は治まりそうになく、頭の中では見えない蜂が飛び回っている。

「村の反対側の沖に一人で出てたら、煙が上がって、鉄砲の音が聞こえて」

「ああ」

「体が動かなくて、何の音もしなくなってから、やっと手が動くようになって 」

震えが細い腕から顎へ伝わり、小さな歯をがちがち言わせている。
おそらく麻で編まれた布は薄汚れて、服とは呼べない有様で痩せた体に巻き付いていた。
森を抜けた時から、どこかに隠れた人々がそこかしこで囁き合っているような気配がしていた。他にも生き残った村人がいるのだろうか。

「一週間は経ったと思ってた。でも、まだ煙は上がってたし、何も食べる気がしなかった」

子どもは震える手を握りしめながら、とりとめなく話し続けている。

「何にもなくなってた、何にもない村だったのに、本当に何もなくなってた」
「魚一匹獲れない網がなくなってた。あんなもの何の役にも立ちゃしないのに」
「みんな焼けてた、一人残さず死んだ。父さんも母さんも、じいちゃんもみんな死んだ」
「一人ぼっちだ」

そこまで一息に言って、ゾロを見た。
面長の顔は、不安に塗りつぶされてぐしゃぐしゃになっている。

この集落で唯一生き残り、生活に必要な一切を奪われて、幼い子が一人で生きていけるはずもない。祖末な船で、どこか遠くの陸地を目指して旅立たない限り。
それすら、このグランドラインで成功する可能性はほとんどないというのに。

「でも、あたしは臆病者なんかじゃない」

その時になって初めて、目の前の子どもが少女であることに気付いた。丸みを帯びた膝が、柔らかく光る焼けた肌が、細い身体の中に女である証を見せつけている。

「つれていって」

目眩がした。
少女の他に誰も生き残っていないのならば、この囁き声は蜂の羽音なのだろうか。

「つれていって。立派な海賊になるし、人だって殺せるようになるよ」

「おれは…むやみやたらには殺さねぇんだ」

「そんならなおいい。邪魔になるようなことはしないから…だめなら、ここにずっといて」

「それは、無理だ」

「なんで」

「なんでかって…それは…」

なんでだ?
頭がぐらついて、うまく言葉が出てこない。
頭痛はどんどんひどくなり、耳鳴りがこだましている。航海の途中、島へ近付くにつれて太陽が近くなっている気がする、と誰かが言っていた。
きっと、この島は太陽に近すぎるのだ。

「ひ、ぃ…っ」

突然、少女の喉から引き攣れた声が漏れた。
こめかみを押さえながら少女を見ると、恐怖に見開かれた目がゾロの肩越しに後方へと注がれている。柄に手をかけて体ごと振り返ると、そこにはルフィが立っていた。
声をかけようと思う間もなく、少女は叫びだした。

「助けて!殺さないで!いやだ!殺さないで、殺さないで!」

ルフィが仲間であることを説明しようとするが、少女は膝をついて頭を抱えたまま叫び続ける。肩を支えてやりながら、気を悪くしているんじゃないかと思い、ルフィを見た。

「ルフィ、悪いな。何か勘違いしてるみたいで」

「ふーん?もう戻ろうぜ」

その途端、少女が強くゾロの腕を掴んだ。噛んでぎざぎざになった爪が勢いよく筋肉に食い込む。驚いて向き直ると、少女は強い憎しみを込めてルフィを睨みつけていた。
ルフィは、そんな少女を感情のこもっていない目で見下ろしている。

「ゾロー、帰んぞ」

「帰らないで!」

「ああ、でも、こいつが…」

少女はゾロの腕を掴んだまま必死に懇願している。ゾロは立ち上げることができない。
いつもだったら逆の立場にいるはずだ。ルフィは弱っている人間を放っておけないはずだから。しかし、ルフィは静かに二人を見下ろしているだけで。

「お願い!帰らないで!ここにずっといて!」

「悪ぃが、それは無理だ」

「どうして!」

「どうしてって…」

どうして、答えが出てこないのだろうか。
(簡単な答えなのだということは分かっているのに)

どうして、ルフィは少女を助けようとしないのだろうか。
(こんなに助けを必要としている少女を)

どうして、こんなに頭が痛いのだろうか。
(割れるような頭痛と吐き気は止みそうにない)

「なんで」「どうして」

少女とゾロの声が重なった。
ルフィが答える。

「この島に蜂はいねぇ。早く、戻ろう」

あれほどひどかった頭痛が急速に引いていく。今なら、立ち上がれる気がする。
思い切って膝に力を入れると、なんとか体を起こすことができた。

ふと見ると、足下では少女が戸惑いを隠せない表情でゾロを見上げている。
少女の口が微かに動いたように見えた。しかし、もうゾロには何も聞こえない。
あれだけまとわりついていた煙の匂いが、いつの間にか消えている。
歩き始めたルフィの背中を確認してから振り向くと、坂の上には森が見えるだけで。
少女に目を移せば、そこには誰もいるはずがないのだった。

船が見えてくる頃には、日が落ちようとしていた。
ログを考えてもこれ以上長居する必要はなく、何もない島に興味を失ったと言って、ルフィは早々に船を出させた。

「どこにも蜂なんていなかったっていうじゃないの!」

ナミが怒りを込めた握りこぶしで机を叩いた。
びくりと体を弾ませながら、病人を診たチョッパーもまた頷く。

「不治の病なんかじゃなかったよ。あれはただの流行病だった」

「気持ち悪いったらなかったのよ!蜂が怖い怖い言いながら、外で船の中を伺ってるの!」

シャワーの最中に覗かれたらしいナミの怒りは当分収まりそうにない。
内心では島の住民を気味悪がっていたのか、誰もナミをなだめようとしない。

ルフィの姿を探すと、いつものようにメリーの上に座っていた。
笑っているのか、惚けているのか分からない顔で、近付いてくるゾロを眺めている。

「おれと来るなら、お前は誰も連れて行けないよ」

体へ染み渡るように、ルフィの独り言じみた呟きをゾロは理解した。
きっと、少女の声は死者の残像だった。

「お前を連れて行ける奴も、おれ以外にいないんだ」

そんなことゾロはずっと知っていた。ルフィと会う前から、死者の影に怯え始めた頃から、ただ一人だけが自分を連れて行けることは分かっていた。
恐ろしい毒を持つ蜂なんてどこにもいなかった、孤独に震える少女なんてどこにもいなかった。太陽に近すぎた島で見つけたのは、生きることへの怯え。

しかし、ゾロを死の国へ導けるのはただ一人の死神。
そして、ゾロを生かしているのもただ一人の死神。

ルフィの乾いた唇を指でなぞると、細い腕がしなって首筋に巻きついた。緩く抱きしめられているのに、心臓を鷲掴みにされているようだ。
このまま口付ければ、魂を奪われてしまうかもしれない。
血の滲む夕暮れ空、翼を広げたかもめが太陽を切って飛んでいく。

眩しさにつむった瞼の裏には、冷たい赤の残像。
それは、紛れもない生の証だった。

 

05/05/11

 

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